先日、母にメガネをプレゼントせんと近所のメガネスーパーに連れて行ったとき、ローンの照合時間がひたすらに長かったので、その間店長のおじさんとどうでもいい話にはなをさかせた。
「私、もう勤めて25年になるんですが、10年くらい前かなぁ、数年ほど鹿児島に単身赴任してたんですね。」
「鹿児島本土までですか!奄美から離れることがやはりあるんですねー」
「チェーン店はどうしてもねぇ(苦笑)でも、鹿児島はしんどかったですねー。何がいやかって、なんというか、やはり、奄美の人間を差別するんですね。」
「 (`・ω・´) 」
「若い方はそうでもないんですが、ご年配の方は、私が奄美の人間だと知ると露骨でしたねぇ。あれはしんどかったですねー・・(苦笑)」
店長さんはそれ以上具体的な内容を語ることはなかったが、私は久しぶりに沸々と怒りが湧いてきた。
鹿児島だって徳川幕府から虐められたのに、どうして奄美を虐めるのだ。つーか、あんたら鹿児島の方が東京じゃかなり嫌われてたぞ。そこんとこわかってんの?つーかどうして道徳教科書の郷土史で鹿児島の歴史はたくさん載ってるのに、奄美の歴史が西郷さんがきたエピソード一個しかないのよ。あ?ヤンチュ制度という農奴制度までつくったあなた方の奄美からの黒糖収奪という立派な歴史は無視ですか?お前らが歴史書焼いてくれたせいで、奄美の歴史はなくなったんだよ。え?
しかし、怒りは虚しくなるだけだからやめた。
恨み心で恨みはとけない。それより、その悔しさをバネにして、立派になり、社会的実績をうむことしかないのだ。
薩摩だってそうだ。徳川にいじめられた悔しさをバネに、力をため、教育に力を注ぎ、結果明治維新から近代日本の立役者になった。
奄美も明治初期の丸田南里による黒糖勝手世騒動から、学問の大切さを学び、その結果奄美という小さな島から、大審院長(当時の最高裁長官)まで出すほどの大きな学問レベルの高さにいたった。
丸田南里による黒糖勝手世騒動を知らない奄美の方はググッてね。
15年ほど前に全国テレビで特集されていたが、奄美からの弁護士や官僚などの輩出人数は人口比でもかなり高いレベルにあるという。
そういう意味では、薩摩に感謝ですね。
何度も日記に書いたが、父が高校生の頃の話。
島崎藤村の『破戒』を読んで、どうしても部落差別というものが理解できなかった父は、奄美二世で鹿児島育ちの祖母に尋ねてみたという。
すると祖母は、その地域のことを口ぎたなくののしり、とても汚らわしいものだと言ったらしい。
父はその瞬間怒りがバーン。
「お前は自分が大島モンだといじめられたのに、部落の人を差別するのか!!!!」
「管鈍で父なし子と、貧乏人といじめられてきた俺に、そんな言葉を言うのか!!」
(祖父は父が幼い頃に他界・祖母とこども達は極貧で育った)
祖母に手はあげなかったが、かわりに鬼の形相で部屋中をズタズタにしたらしい。父は一旦怒りに火がつくとヤバイからなー。
それから祖母は父の前で二度と人を蔑む言葉を言わなかったという。よほど怖かったんでしょうね。
とーちゃん、やりすぎ。(笑)
でも、私はそんな父が好きだ。誇りにすら思う。
最近も、知人が「被差別部落って怖いよねー。正直、ちょっと引くかも・・・」と言ってきたので、私はあえて抑揚のない口調で
「奄美出身者が沖縄ではヤクザになってる人も多いってご存じでした?山口組の幹部は徳之島出身が多いって知ってました?奄美はそーゆー意味では充分に怖いですよね。ちなみに、あなたの親ごさんの生まれの集落も奄美の中ではヤクザが多いと言われますね。もちろん、奄美は島ですからフツーに血が濃いですね。頭にアガる人も多いですね。ユタの神がかりはアガることからなりますからね。で、被差別部落がなんですって?」
と言ったら、知人は顔面蒼白になった。
「あまり、そういう見方はよくないですよ。他人にさしたひとさしゆびは確実に自分をさしてますから。」
と言うと、知人は固い表情で黙っていた。
痛みをわかるなら、その痛みを誰かにまで向けちゃいけない。
私が親からいただいた、大切な財産の一つだ。
差別なんかくそくらえ!!!!!
父のようなあったかい人間になりたいのだ。